エピソード0 ∼Re受験することを決めるまで∼

Re受験生プロフィール
今回ご紹介する元Re受験生は、三木智弘さんです。
現在は東京大学経済学部経営学科に在籍しています。
出身は、三重県の四日市高校。
1回のRe受験を経て、東京大学文科二類に合格しました。
Re受験中は予備校などに通わず勉強をし、独学で東大模試全国6位まで成績を伸ばすことに成功しました。
そんな三木智弘さんの特筆すべきポイント。
それは、現在は現役東大生ながら日本最年少でプロスポーツチームの社長をしているという異色の経歴を持っていることです。
三木さんは大学3年生の時に休学し、スポーツトレーナーを支援する会社を起業。
その3ヶ月後に元プロバレーボール選手から北海道札幌市のプロバレーボールチームの経営再生を依頼され、学生ながら社長に就任しました。
その後起こったコロナ禍をものともせず、累計5,000万円の借金をしながら経営再生をしてきたという不屈のメンタルの持ち主です。
また、最近では新しいキャリアの選択肢となりつつある、スタートアップの経営者でもあります。
立ち上げたのはスポーツ系のITスタートアップで、三菱UFJ信託銀行などから1億円以上の資金調達にも成功しています。
国内外を飛び回りながらスポーツ業界の改革を進めている三木さんですが、Re受験を乗り越えての今があります。
今回のRe受験体験記シリーズでは、三木智弘さんを全5話(エピソード0〜エピソード4)で紹介します。
エピソード0では、Re受験期に突入するまでの三木智弘さんに密着しました。
(以下は、三木智弘さんご本人による文章です。)
昔からビッグマウス
今回貴重な機会をもらい、自分のRe受験での成功体験が他の人にとって何か役に立てば嬉しい限りなのですが、どこから書き始めようかと考えていました。
まず、僕が東京大学を目指し、大学に入ったあとも起業家として動き回っていることの原点ともいえる話をしたいと思います。
今回記事を書くにあたって、僕がいつから東京大学を目指すようになっていたのか改めて振り返りました。
するとどうやら、僕は小学生の頃から
「自分はいつか何か大きなことを成し遂げるだろう」
という根拠のない自信を持って生きてきた痛いタイプの人間だったことに気付きました。(笑)
具体的には、僕が小学校高学年の頃にiPhoneが発売されたのですが、iPhoneを作ったスティーブ・ジョブズの話を聞いて、
「自分もこういう会社を作ろう」
とか、
「iPhoneの次は空間にスマホが映るようなバーチャルフォンを作ろう」
と本気で考えてました。
幼少期からサッカー、テニス、水泳、ゴルフなどとにかくスポーツをすることが好きで、親が勉強に一切関心がないという家庭で育ったのもあったのか、習い事も全てスポーツでした。
そんなスポーツ少年でしたが、小学校高学年の頃からなんとなく「自分は東大に行くだろう」とぼんやりと思っていました。
中学校の卒業式では、教室の黒板に自分の名前を書いて、
「将来東大に行って日本を変える男の名前なので覚えておいてください」
と言ったほど、痛いやつでした。
昔から周りの中ではそれなりに勉強はできる方でしたが、東大に行けるような成績だったわけではなく、“よくいるちょっと頭がいい子”というレベルだったので、よくそんなこと言ったなと今は思います。
しかし、今となって、その“根拠のない自信”がなければ、今の自分はいないんじゃないかと思います。
チャレンジすらしていなかったかもしれません。
そもそも、人は誰しも最初は実績なんかありません。
周りに何と言われようが、少なくとも自分だけは自分を信じて、進んでいくしかないと思うのです。
こんなことを思ってたから、小学生の頃から根拠のない自信を持っていたわけではなく、それはただただ痛いやつだったと思います。
でも、僕はそんなやつだったからチャレンジし続けることができていると今思うし、よかったらRe受験生の皆さんも、“根拠のない自信”をもってもらえれば、視野が広がるんじゃないかなと思います。
高校時代は部活動中心の生活

僕は高校時代はサッカーに明け暮れる生活をしていました。
週6日〜7日、放課後はサッカーに勤しんでいました。
受験のために途中で部活動を引退する人もなかにはいるかもしれませんが、僕は高校3年生の最後の夏の大会まで続けていました。
勉強は朝学校に着いてからの2時間と授業中にするというのがルーティンでした。
部活動は一見受験には関係がなさそうですが、今考えると、試験中長く頭を使うのにも体力・精神力が必要なので、その精神面と体力面を鍛えられた部活動は実は役に立っていたのではと思っています。
部活動は勝負の世界で、先輩とレギュラー争いをすることが多かったです。
自分のミスで負けてしまうことや、そもそも試合に出られないことなどネガティブなことも日々ありました。
そういう時に、辞めずに継続することや、自分のできていないことを把握して改善していくことを高校3年間部活動を通じて続けてきましたが、それが精神的なタフさや課題を乗り越える力につながっていると思います。
特に高校1年生の後期から試合によく出ていたのですが、練習で中々パフォーマンスが悪く、徐々に試合に出ることができなくなってくる時期がありました。
これまで試合に出られていた状態から出られなくなるのは、精神的に結構きつかったのを覚えています。
ただ、現状を変えるには自分が努力するしか方法はないので、常にポジティブに考えて今の状況を成長チャンスと捉え努力した結果、再びレギュラーに定着することができました。
高校三年生の時には強豪校を倒して県ベスト16までいくことができ、僕が在籍していた四日市高校サッカー部としては快挙でした。
受験でも成績が下がったり、伸び悩んだりすることはよくありましたが、そういう時こそ自分のできてない点を見つけるチャンスだと捉えてコツコツ努力する考え方や精神力は、間違いなく部活動から得たものが大きいと思っています。
また、受験は1人でするものだという考えが世の中的に強いかもしれませんが、よく高校の時は団体戦だと言われていました。
周りの友達が部活も勉強も同じように努力している環境にいることで、自分も当たり前に部活に対しても勉強に対しても努力ができましたし、勉強を教え合ったり、成績を勝負したりと刺激しあえる環境があったのもとても良かったと思っています。
高校時代は成績も悪くなかったんだけど、、、
高校時代の自分の成績にふれておくと、高校に入学した時の成績は学内で15位くらいでした。
当時の担任の先生からは京大を目指したらどうかと言われていました。
僕の成績は小中高ずっとどの学校でも15位くらいだったので、特別学力が抜きん出ていたわけではなかったのですが、学校の授業はしっかり受けて宿題を授業中に終わらせるということは意識をしていました。
なかでも数学が大好きで、高校1年生の夏までに3年生までの内容を独学で終わらせていました。
当時の先輩で東大に合格した人が、『Focusゴールド』という参考書を高校1年生の時には1周していたという話を聞いていたので、「自分もそのくらいの量をすればいいのか」と思い『Focusゴールド』を1周したんです。
あとは『4step』という参考書も、1年分渡されていたものを夏には全て終わらせました。
数学以外はそれほど突出して好きな科目はなかったので、基本的には授業をしっかりと聞いて、予習と宿題をきちんとするというルーティンで勉強をしていました。
英語が苦手だったので中々苦戦していましたが、全体の成績としては高校1年生から3年生までずっと京大合格ラインには乗っていたと思います。
それでも、あとで述べているように、現役時代の受験では思うような結果が出ませんでした。
高校三年生の夏の東大模試でB判定。東大受験を決める。
東大受験を真面目に意識し始めたのは、高校3年生の夏からです。
それまでは、校内では成績が30位以内で、例年の四日市高校の合格実績でいうと京大か旧帝大に入れたらよいという成績だったのですが、大手予備校の東大模試を受けてみたら思いのほか成績がよく、「これは本気で努力したら東大を目指せるのでは」と思いました。
夏のインターハイで県ベスト16まで残り、最後までやり切って引退をしたので、勉強に本腰を入れて取り組めるのは遅かったのですが、半年間死ぬ気で勉強して東大を目指してみようと思いました。
塾には通わず、赤本と学校の補講を中心に勉強をしていました。
僕の勉強スタイルは教科書と赤本5年分を3周するという、同じことを反復して何度もやるというものでした。
ありきたりかもしれませんが、この基礎的な勉強をひたすら続けていました。
1周目は5割くらいの理解でよいので全体を流して勉強し、2周目は1周目で分からなかったところに重点的に取り組み9割くらいの完成度まで全体を理解をする。
3周目は1周目と2周目で両方間違えたリストを作成して、そこを徹底的に理解する。
どの教科でもこのパターンで自分の苦手を潰していくという方法で勉強をしていました。
合格したと思っていた。20点足らず不合格。

東大受験日前日、元々予約していた東大生だけが住めるアパートを見学に行き、東京での生活イメージを膨らませて受験へのモチベーションを高めました。
前日はこれまで頑張ってきた自分へのご褒美に、渋谷で美味しいものを食べてできるだけ緊張しないようにリラックスした1日を過ごしたのを覚えています。
そして、東大受験当日。
東大のキャンパスに着いて、建物のかっこよさや、この場所に来れたことの誇らしさを実感し、絶対に東大に入りたいと思いました。
地方出身だったこともあり、見るもの全てが新鮮で受験を乗り越えた先の東京でのキャンパス生活に憧れを抱いたのをすごく覚えています。
1年目に受験を終えた時は、いつもより英語や国語ができた自信があったので、「これは合格したな」と思っていました。
しかし、結果は20点足らずに不合格。
1点差で不合格になる人も多くいる激戦の東大受験において、20点足りないというのは自分にとっては惨敗でした。
正直、試験を受けた時に、自分の感覚と試験の結果とが大きくズレているというのは、まだまだ目標に対する解像度が低いという証拠だと思います。
山登りに例えると、自分が山頂まで登り切ったと思っていたら、そこはまだ五合目でまだまだ道が続いていたことに登ってから気づいたというような感覚でした。
ドラゴンボールでいうと、自分が未熟すぎて敵の本当の強さに気付けない最初の頃の悟空のような状態でした(笑)
この時に「自分の実力を過信していたな」という反省をするとともに、「まだやりきれていない」「東大受験のことをもっとちゃんと分析したい」という気持ちがありました。
受験においては自分がどのくらいできたかも重要ですが、同じ受験生の中で上から順番に合格するので、相対的に他の受験生よりもよい成績を取らなければいけません。
これまで全国模試をそこまで受けてこなかったので自分の現在地を正確に把握できておらず、経験を積んで客観的に自分を見つめ直す必要があると感じたのです。
こうして僕の不完全燃焼な一年目の東大受験が終わりました。
ちなみに東大は、不合格になると合否発表の翌日にあと何点あれば合格できたのか、不合格者の中で何位〜何位にいるのかのランクを出してくれます。
僕は151位〜300位のBランクで、あと1年頑張れば届きそうだなという思いもありました。
母親の一言でRe受験を決意。

Re受験を決意したのは2016年3月10日、合格発表の日です。
朝起きてからずっとソワソワしていましたが、自分のなかでは結構自信があったので正直受かったと思っていました。
ただ、いざ受験結果を見るとなると緊張してきて、母親に代わりに見てもらいました(笑)
自分の番号がなかったときはなんとも言えない気持ちでした。
ショックというよりは、不合格という状況に実感が湧かず、家のソファに寝転がっていました。
その時に、母が僕に言いました。
「アメリカの大学とか受けたら?9月入学なんじゃないの?」
この言葉にすごくハッとさせられました。
改めて「うちの母はすげーな」と思いました。
「受験に1回落ちたくらい大したことではない、世の中には無数の選択肢があって自分の好きなような人生を選んだらいい。」
そういうメッセージを受け取った気がしました。
一度きりの人生で、可能性があるのならば日本一の大学である東大に行きたいという強い気持ちがあったので、「どうせやるなら早い方がいい」と思いその日のうちに切り替えてRe受験をする決意をしました。
改めて当時を振り返ってみると、大学受験に失敗した時に身近な人がそれをネガティブに捉えるのではなく、「挫折は人生において自己成長につながる財産だ」と捉えて背中を押してくれたことが、何よりも当時の僕に勇気をくれたんだと思います。
きっと母親は何気なく放っただけの言葉だったと思うのですが、当時の僕にとっては心がすごく軽くなるもので、気楽に再チャレンジしようという気持ちになれました。
Re受験は1年に一回の勝負なので、「これまで頑張ってきたのにまた一からやり直すのか。。」という途方もなさを感じるかもしれませんが、積み上げてきた努力は思ったよりも自分の血肉に代わっていると思います。
また、実際に大学に入ってからもRe受験をしてきた学生は、一度自分の人生を深く考えた経験があったりするので、人間的に深みがあったり、楽観的でユニークだったりします。
そして、その後の学生生活やキャリア形成でも上手くいっている人が多いと思います。
受験が人生の大半を占めている時は、失敗したと感じるかもしれませんが、人生の中で自分を見つめ直す最大のチャンスだったのではないかと今振り返ってみて思いました。
Re受験するお金はなかった。それでも東大にどうしても行きたかった。
ここで少し、僕の実家の家計の話をします。
父がサッカー日本代表のスポーツトレーナーをしていたため、幼少期はとても裕福でワールドカップに帯同させてもらったりととても豊かな経験をさせてもらいました。
ところが、僕が中学生の頃に事業で上手くいかないことがあり家計がとても苦しくなりました。
しまいには、高校の学費を遅れて手渡しで払うような状況を過ごしていました。
そんななかでも、家族の仲がとても良かったので辛いという思いは一切なく、「早く自分が成功して恩返しをしたい」という思いが人一倍強くなったのを今でも鮮明に覚えています。
東大に不合格になった時も、塾に通いながらRe受験するお金の余裕はなかったので、自宅でRe受験するという決意をしました。
当時の自分のなかで、「東大にいくことが親孝行」という思いが強く、
「自分が東大に行くことで早く稼いで、両親を楽にしたい」
当時はそう思っていました。
実際に大学在籍中に東大生でプロスポーツチームの社長になったことで、早くから収入も増えて両親に車を買ってあげられたことは少しだけ誇らしく思っています。